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大学教授の経歴も!侍ジャパン・栗山英樹監督の現役&監督時代を振り返る

大学教授の経歴も!侍ジャパン・栗山英樹監督の現役&監督時代を振り返る
大学教授の経歴も!侍ジャパン・栗山英樹監督の現役&監督時代を振り返る

3月8日に開幕するWBC 2023で監督を務めるのが栗山英樹監督です。プロ野球選手としては6年と短命でしたが、日本ハムファイターズの監督を10年、そして侍ジャパンの監督を務めています。選手からの人望もあり、監督として大きな成功をしている栗山監督とはどのような選手、監督なのでしょうか。徹底調査します!

栗山英樹監督のプロフィール

  • 氏名:栗山 英樹(くりやま ひでき)
  • 生年月日:1961年4月26日
  • 出身地:東京都
  • 球歴:
    • 創価高等学校-東京学芸大学
    • ヤクルトスワローズ(1984年-1990年)
    • 北海道日本ハムファイターズ 監督(2012年-2021年)
    • 野球日本代表 侍ジャパン トップチーム監督・北海道日本ハムファイターズ プロフェッサー(2022年ー)

栗山英樹監督の選手としての経歴

幼少期(創価高校時代まで)

幼い頃から教員を目指していた栗山監督は他の多くの選手のように野球づけという生活をしていたわけではありませんでした。ただ、東海大相模高校のセレクションに合格するなど、ポテンシャルを秘めていました。高校は自宅から通えるという理由で創価高へ。3年生で主将、そしてエースとしてチームを牽引します。高校卒業後は教員免許を取得するため国立の東京学芸大に進学します。

大学時代

東京学芸大学では夢に向けて教員免許を取得する一方で、東京新大学リーグで2度の優勝、大学選手権にも出場し、野球選手としても評価を受けていました。そして西武、大洋、ヤクルトのテストを受け、ヤクルトだけ合格し、プロ野球選手としての生活が始まります。

ヤクルト時代

メニエール病を発症し、目まいや吐き気に苦しめられながらの生活を強いられます。どうにか集中治療で克服し、猛練習を積み重ねて、ベース1周14秒の俊足を生かすため両打にも挑戦、手の感覚がなくなるほどバットを振り込むほどの努力を重ねます。

1988年にレギュラーに定着すると、1990年の引退まで故障などと戦いながらも当時のプロ野球記録の1試合4犠打を記録、俊足を飛ばしての広い守備範囲、ダイビングキャッチでの球際の強さで外野のゴールデン・グラブも受賞しました。

1990年に持病のメニエール病、右肘の故障により、自身が信条とする120%の努力、出力ができなくなったとのことで、現役を引退しました。

栗山英樹監督の現役引退後

スポーツキャスター

1991年から2011年までは野球解説者・スポーツキャスターとしてテレビ朝日、TBSテレビ・TBSラジオに出演し、スポーツニッポン専属野球評論家も務めていました。

2009年には、日本高等学校野球連盟から高校球児への直接取材を認められ、全国高等学校野球選手権大会期間中には、プロ野球解説・評論などの活動と並行しながら、『熱闘甲子園』などで司会や取材を担当していました。

白鵬大学客員教授

2004年から白鷗大学助教授、2007年から准教授、2008年に経営学部教授に就任しました。専門分野はスポーツメディア論・野球型などで、プロ野球選手として活躍した栗山監督ならではの授業を展開していました。現在は監督業のため休職という扱いで白鷗大学に籍を残しています。

日本ハムファイターズ監督(2012年-2021年)

2011年11月3日、梨田昌孝さんの後任として北海道日本ハムファイターズの監督に就任しました。その後10年間チームを率いて、リーグ優勝2回、日本一に1回導き、通算では球団歴代最多となる684勝を挙げました。基本的には選手を信頼する起用が目立つ栗山監督ですが、打撃不振の4番中田翔選手に代打を送るなど、時に厳しさも見せていました。

2013年からは大谷翔平投手の二刀流挑戦をバックアップし、今や世界一の選手となった大谷選手のプロ野球選手としての礎を築きました。当時は懐疑的な声が多く、どちらかに絞るべきだという声が多くありました。しかしその声も時には栗山監督が盾となり、大谷選手も実力でその声をかき消してきました。

2016年にはプロ野球の発展に大きく貢献した人物に贈られる正力松太郎賞を受賞しました。

最後に

今回はサムライジャパンの監督、栗山英樹監督についてまとめてきました。ダルビッシュ有投手、大谷翔平選手がWBCに参加するのも栗山監督がいるから、とも言われています。正力松太郎賞も受賞している栗山監督ですので、WBCでも素晴らしい結果を残してくれることでしょう!